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鉄道の高速化が駅弁を苦しめる

2007/05/02 21:58

 


 交通機関の歴史は高速化の歴史でもある。国内の鉄道も例外ではない。鉄道の開業そのものが移動時間を劇的に短縮したが、その後も利用者の求めに応じて、あるいは他の交通機関との競争で、主要路線の所要時間は今も短縮が続いている。


 例えば東京~大阪間の所要時間の変遷は次のとおり。ネット上に資料を探せなかったため詳しく書く。車両の性能向上、急行や特急の登場、新幹線の開業、余裕時間の削減などの成果により、丸一日かけた移動が余裕の日帰り圏に変わった。


 1889(明治22)年 18時間52分(東海道本線全通)
 1896(明治29)年 16時間29分(急行列車登場)
 1906(明治39)年 12時間48分(最急行列車登場)
 1912(明治45)年 11時間55分(特別急行列車登場)
 1930(昭和 5)年  8時間20分(特急「燕」登場)
 1934(昭和 9)年  8時間00分(丹那トンネル開通)
 1956(昭和31)年  7時間30分(東海道本線全線電化完成)
 1958(昭和33)年  6時間50分(電車特急「こだま」登場)
 1959(昭和34)年  6時間40分(「こだま」所要時間短縮)
 1960(昭和35)年  6時間30分(「こだま」所要時間短縮)
 1964(昭和39)年  4時間00分(東海道新幹線開業)
 1965(昭和40)年  3時間10分(新幹線徐行解除)
 1986(昭和61)年  2時間52分(新幹線速度向上)
 1992(平成 4)年  2時間30分(のぞみ号登場)
 2007(平成19)年  2時間25分(のぞみ号新型電車登場)※7月予定


 かつては3食を要した道中が1食で、あるいは食べずに済む。駅弁は決して不味いものでも高いものでもないと思うが、家庭料理やレストランに勝るものでもない。約2時間半の移動であれば、乗る前に食べてくるか、降りた後に食べるという行動は不自然でない。


 鉄道がそれほど速くなっていない地域でも、飛行機が全国各地を2時間程度で結ぶ時代になったから、個々の乗客で鉄道利用時間の短縮が起こる。大阪と青森を12~16時間かけて当日中に結んだ特急「白鳥」は、1961(昭和36)年の登場時には青函連絡船を介して関西と北海道を結ぶ列車であったが、2001(平成13)年の廃止時には乗り通す客など数名いるかどうかという状態になった。


 高速化で鉄道の利用者が増えても、駅弁の販売個数はむしろ減少する構図が、ここに出来上がる。その深度化は現在進行形であり、ネジの逆回転はおそらく現実的でない。今後も駅弁消滅駅を毎年数駅ずつ生み出す原動力であり続けそうだ。

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